【ふたり歩き】
第一幕


朝早く、以蔵がいつものように出掛ける準備を始めたので、わたしも慌てて支度する。

小さな重箱に、昨日のうちに作っておいた煮物とお漬け物を入れて…、風呂敷で包んで、きゅっと縛る。
あ、もちろん煮物は、ニンジン抜きでっ。
えっと…あとは、おにぎりをいくつかと…。いけない!畳んでおいた洗濯物も!

最近のわたしの朝は忙しい。

ばたばた急いで支度していたら、

「今日は…おまえも一緒に来るか」

と、以蔵が声を掛けてくれて。

「えっ!ほんとに?」

わたしは嬉しい声をあげる。

「ああ、先生も、たまにはおまえの顔を見たいとおっしゃっていたからな」




あれから…数ヶ月経つ。

わたしと以蔵は、武市さんが隠れるように住んでるお家のすぐそばで、こうして、ふたりで暮らしてる。

一緒に住むならきちんと祝言をあげなさい、って、武市さんが言ってくれたから。私は、いま、以蔵の、…お、奥さん、だ。

まだ、実感ないんだけどね。

以蔵は毎日朝早く武市さんのところへ出掛けて行って、武市さんの身のまわりのお世話をしてるから、私も武市さんにって、最近お料理を頑張ってるんだ。

「おい、行くぞ」

「うん!」

遅れないように、私は急いで草履をはいた。


【ふたり歩き】
第二幕


わたしの少し前を歩く以蔵について行く。

「髪…また伸びてきたね」

私は、そっと手を伸ばし、以蔵の髪に指を滑らせる。

「おまえの髪もな」

そう言って、振り向いて笑ってくれる。優しい笑顔。

最近、以蔵はよく笑ってくれるようになった。

以蔵が、笑ってくれる。

それだけで私は嬉しくなって、つい、以蔵の腕に自分の腕を絡ませた。

「…っ、ば、…馬鹿っ、よせっ」

あ…、また逃げられちゃったっ。

こういうところは変わらないんだよね…。らしいと言えば、らしいんだけど。

ふう、と、ついため息が出てしまう。

「なんだ」

「なんでもないよ」

「それが、なんでもないって顔か」

「だって、以蔵ってば全然違うんだもん」

「…違う?」

以蔵が訝しげな顔で私を見る。

「そうだよ!だって、昨日の夜だって」

言いかけて、私は慌てて口元を押さえた。

昨日の夜だって…。
耳元で愛してるって…何度も何度も囁いて、一晩中ずっと私を離そうとしなかったくせに…

…なんて言えないっ!

うっ、ど、どうしようっ、昨夜の記憶が、ふと頭によみがえってしまって…!

うわ〜っ!

って、顔が熱くなってしまう。

「…昨日の、夜?」

最初はぽかんとしてた以蔵も、私のそんな様子を見て。私が言おうとした事が…分かっちゃったみたいで。

以蔵の顔が、みるみる赤くなっていく。

「…お、…おまえっ」

真っ赤な顔して睨みつけてくるけれど。そんな顔したって、いまの以蔵は全然怖くない。

『かわいいな』なんて思って、私はついつい笑ってしまう。


【ふたり歩き】
最終幕


睨んでも私には効果がないのを見てとって。急に以蔵は私の手を取ると、ぐいって路地に引っ張りこんで…!

壁に私を押しつけるように立たせると、その太く逞しい腕で私の逃げ道をふさぐように両手を壁につく。

「い、以蔵?」

まだ真っ赤な顔をして、私を真っ直ぐに見つめる以蔵に…私の心臓はドキドキと早まっていく。

…以蔵が、…私の耳元に、その口唇をよせる。

「あんな俺を見せるのは、…おまえにだけだ」

以蔵の、…低く…ささやく声が、私の耳から首すじをくすぐって、ゾクゾクッと身体中を駆けめぐる。それと同時に顔に一気に血が上ってきて…っ。

へなへなって脚から力が抜けるのを、以蔵が、がっしり支えてくれた。

「まったく…」

以蔵の、苦笑まじりの声がする。

「行くぞ、先生が待っている」

私をちゃんと立たせると、以蔵は私の手から荷物を全部受け取って、私にくるりと背を向けた。

そのまま歩き出してしまった以蔵を、慌てて私は追いかける。

「以蔵、待ってよ」

でも、以蔵は振り向かなくて。

「以蔵ってば」

スタスタ歩いていっちゃう以蔵…

…あれれ?

『…ひょっとして、また、照れているのかな?』

小走りで私は以蔵に追いついて、横からそっと以蔵の顔を覗き見る。

そんな私を横目でチラリと見た以蔵は、ちょっと困った顔して、そっぽを向いて…

て、照れるくらいなら、しなきゃいいのにっ。

『やっぱり、以蔵は以蔵だね』

私は、また、ふふふと笑って。

「何を笑ってるっ」なんて、また睨んだ以蔵の横を一緒に歩く。



…こうやって、きっと、わたしは歩いていくんだ。

一緒に歩く以蔵の横顔。

こうして以蔵と、一緒に。
これからも、ずっと。

ずっと。

あなたの隣を。



…ね? 以蔵?




〜終〜